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norishideのブログ

皮肉が散りばめられた真面目な文章を書きたい

大学を離れてから気づく大学の利点

ブログを30日間とりあえず書き続けるという30日チャレンジは続きませんでした。前回の記事でちょっと頑張りすぎた感じはあります。しかし出来る範囲で続けます。

 

IT系のスキルを自学していて、Javaは2ヶ月やってみて大体読み書きできるようになってきた。ファイルの取り扱いもまあ初歩的なところは作れて、あと触れてないのはラムダ式くらい。これに加えて、機械学習の勉強をしている。教師あり学習、教師なし学習から始まって分類問題、再帰問題など初歩のところから、ニューラルネットワークの原理、計算方法の理解、CNNの概念とディープラーニングの可能性までなんとなーく全体像をつかめた感がある。私という天然知能の教師データは主にこの本。なんとAmazonランキング1位で大人気、こないだカフェでこれを読み始めたら隣の人も同じものを読んでいた、という、まるで村上春樹の新書で起こりそうな狂った体験ができました[1]。

 

自分で本を読んだりしていたが、勉強のための勉強になってしまって、何かアウトプットのために学ぶよりもやはり効率が悪いと感じる。知識そのものが増えるのは楽しいから娯楽と言ってしまえばそれまでで、その場合別にアウトプットなんていらない(学問なんて娯楽だ)。けれども欲張りなので何か成果が欲しいなと思い、友人と勉強会的なものをしようと断続的に集まったりしてみたものの、上手くいかない。各個人のレベルややりたい方向性に隔たりがあり、結局ふわっとした議論だけして終わってしまう。「効率的な」自学自習は思っていたよりも難しい。

 

専門書を読んでいると、大事なポイントを要点抑えて学べたら効率良いなと常々感じる。それを正しく行えるのが大学の授業の良いところなんだと気づいた。体系だった知識を持っている人がガイドしながら、細部までは行かずとも体系全体の中で大事なポイントを定期テストの問題にする。だからたとえ一夜漬けでも一応は大事なポイントを理解して試験にパスしていれば、そこにはやはり形式上の単位や学歴以上の価値がある。授業を退屈だと思って聞いていたのは、実は聞き手が退屈だと思えるくらいに体系だったわかりやすいカリキュラムを作っている人がいたからだ。たまに学生を置いてけぼりにする意味不明な講義をする教授もいたけど。そしてそのカリキュラムを作る人は、その分野では全人類のうち最も詳しいレベルの知識を持っている人なのだ。

本を読めば学はつく。しかしそれは正しく読めた場合のみだ。間違った理解したことを誰も指摘してくれなかったなら、それは悲しいことだ。一度、物理学を間違って理解している人の(そのおっさんは高校物理だって理解できているか怪しい)意味不明なウェブサイトを見かけたことがある。彼は物理学が好きで本を読んで持論を書いているのだろうが、本を正しく読めていないのだ。一度どこかの大学のオンラインの講座でも受けると良いと思う。

有名大学の授業はいまや大体オンラインで受講できるようになっている。だから大学の存在価値はもはや無いのでは?という議論があり、これに対する有力な回答は、切磋琢磨できる仲間を見つける場であるということになっている。まあそれもあるけれど、ここで言いたい大事なことは、大学では、授業を作る人、教える人が(少なくとも知識の上では)「きちんとしている」ということだ。

 

 

[1] 村上春樹は好きですがそういう体験をしたことはないです。そういえば騎士団長殺しというキャッチーなタイトルの新作が出るみたいですね。

[*] 中学程度の学力しかない人たちに根気強く、大学程度の工学を教えてくれた高専の先生方は素晴らしいと思う。高専生だった時は全くこんなことをやって何の役に立つんだという思いしかなかった。けど深く科学・技術を学ぶにつれ、微積分やフーリエ変換運動方程式C言語のprintf文を10代の時に学べるという環境がどれだけ特殊で素晴らしい機会だったかということを年々強く感じるようになってきている。Javaを本格的に勉強し始めた最近、10年前の高1の時にプログラミングを教えてくれた超個性的な(普通高校には絶対いないような)先生の授業がフラッシュバックする。見るからに運動は不得意そうで、なぜかいつも汗っかきでヒューヒューと息をしていて、要するに冴えないオタクだった。(どうでもいい情報だけど、その先生はint型の変数名には律儀に”seisu_”という接頭辞をつけていたし、演習の技術補佐員は超アナログなおじいちゃんで何かエラーが出るとコマンドプロンプトを見ることなく「再起動したら?」と学生にアドバイスしていた)当時プログラミングがいかにクールなものかなんて知る由もなかった愚かな僕は「意味わかんねーしオタクだせー」と内心見下しながら授業を受けていた。タイムマシンがあったら昔の自分を殴っている。でもとりあえず、10年経っても鮮明に覚えているくらいそれまでの義務教育とは一線を画した授業だった。いわゆる「高専ぽっさ」が前面に出ていたこともあるだろう。いやあほんと、授業って、奥が深いですね