norishideのブログ

皮肉が散りばめられた真面目な文章を書きたい

Hidden Figures

久しぶりにえらく感動した映画をみたので熱が冷めないうちに。

Hidden Figuresという映画を見てきた。邦題は「ドリーム」となっていて、原題のネーミングの良さが隠され(Hidden)てしまっている。このHidden Figuresというタイトルは本当に秀逸だ。Figureには「学術論文の図」なんて意味があることを知っていたので、初めてこのタイトルと聞いた時、NASAの黒人女性科学者というあまりスポットを与えられてこなかった人々を讃えるものだとわかった。しかし、それだけでなく、Figureには「人物」や「異彩を放った外観」という意味もあるそうだ。これはもう素晴らしい。「人物」という意味でのHidden Figuresは今までのメディアからは隠れていた主人公達を表しているし、「外観」という意味からは、その外観だけで社会から虐げられてきた(≒Hidden)黒人達のことを表している。そしてそれらの差別の描写は映画の中で見事なまでに描かれている。まずタイトルでこれだけ感動する映画ってだけで相当やばい。で、なんでそんな素晴らしいタイトルがありきたりなタイトルになっているかというと、Hidden Figuresなんてインテリぶったタイトルなんて、日本に住む地方の小学生とかにはわからないと思うということで、そういう人々にも見て欲しいという思いからこうしてわかりやすくしているという話を聞いた。確かにその通りだ。希望を持てる映画だと思うから、いろんな人に見て欲しい。そして知的能力と情熱は、どんな逆境も覆し自分で道を切り開いていくことができるんだというメッセージが伝われば嬉しい。 

日本語サイトをみると、「全ての働く人々に贈る〜」というキャッチコピーがある。黒人や女性であることを理由に差別を受ける逆境の中でも、プロとしていかにスキルをつけるのか、価値を生み出すのか、自分を正当に評価してもらえるよう周囲を説得するのかが描かれている。主人公達から勇気をもらえることうけあい。「Hidden Figuresから学べるリーダーシップ」なんて記事がForbusにあったりする。特に交渉術という観点では、メアリーが白人専用学校への入学を請願するシーンは圧巻。全体的にみなさま優秀で、素晴らしい仕事ぶりが描かれていて、刺激を受けることができた*1

とはいえそんな彼女らがどのような差別を受けていたのか、分離区域での差別の描かれ方が本当にリアルなんだろうなと感じた。あまりこの時代背景については詳しくないが、ここでの差別というのは、あからさまに嫌な顔をするとか、わざわざ嫌がらせをするとかいう「いじめ」みたいなものじゃなくて、「黒人は普通の人々とは違う扱いを受けて当然」「社会とはそういうものだ」という当時の常識が一つ一つのシーンから痛烈に伝わってくる。差別は社会的な常識だから、悪者として描かれる加害者に悪人は一人もいない。彼らは皆社会規範に従っているだけの善良な市民だ。白人管理職のビビアンが「あたなに偏見はないのよ」と同情的な言葉を投げかけたあと、主人公の一人であるドロシーはこう返す。「知ってるわ。あなたがそう信じてるだろうってことをね。」...これは痛烈だ*2。そのような当時の過酷な社会から50年以上が経ち、現代は、こういったマイノリティ達が主人公になった映画が大ヒットするようになった。社会は良い方向に変わっている。

社会を良い方向に変えていくのはJFKキング牧師はもちろんそうだが、当時はIBMもその一躍を担っていたらしい。劇中で、IBMの大型汎用計算機が軌道計算のためにNASAに納品される。そのコンピュータがどのようにイノベーションに貢献してったかが再現されているのはやっぱりエンジニア視点でとても面白い。コンピュータが稼働を始めたら、手動で計算を行なっていた計算士たちは職を失う。そこで優秀な管理職のドロシーは図書館からFORTRANの本をかっぱらってきて自分で勉強し、部下にもプログラマとしての教育を行い、新しい技術に適応させて部下の雇用を守るという、空前絶後のスーパーマネージャーっぷりを発揮する。これぞエンジニアがついて行きたい上司ナンバーワン。新しい技術は常に誰かの仕事を代替していく。それは昨今ではAIだということで、AIが仕事を奪うだの人間を支配するだの馬鹿げた論が流布されていたりもする。けれどもドロシーのように、新しい技術を学んでいく姿勢とスキルこそが、個人としても社会としても大切なのだとこの映画は教えてくれる。

プロフェッショナルとしてのキャリア、社会の分断と差別、科学技術と社会の関係性といった濃厚な3つのテーマの本質に鋭く切り込みながらも、エンターテイメントとしても王道で一流をぶっちぎってるのがこの映画のすごいところ。主人公が逆境を乗り越え成功を手にするとか、家族との愛、ラブストーリーという基本的な映画としてのエンタメ性をきちんと担保している。もちろん名セリフ名シーン多すぎだし*3、役者の演技も文句のつけようがない*4

この映画を見ているとき、NASAで働く日本人エンジニアの小野雅裕さんを思い起こさないことは不可能だった。今時、COLOREDなんて遠い昔の話だし、劇中でハリソンが言うように"Here at NASA we all pee the same color. "な訳だけど、アメリカでプロフェッショナルな仕事をしている/した人の話を聞いていると、COLOREDであること、もしくはAmericanでないことのハンデがそれなりにあることなのかなと推測できる。そんな中で、小野さんがあふれんばかりの夢と希望を持ち続けてNASA JPLで奮闘している姿をブログなどで拝見していて勇気をもらっている。彼は著作の中で「夢とは渇望だ」と言っている。当時の黒人女性というハンデから、いくら能力があってもNASAで働いていても職は保証されなかったことからも、この映画の主人公たちは自らを輝かせるチャンスを渇望していたと思う。胸を焦がすような情熱で持って渇望する夢を自分は持っているだろうか、また今いる環境に愚痴をいう前に、できることがあるんじゃないだろうか。そんな希望を与えてくれる映画だった。また事あるごとに見返したい。

*1:研究者やエンジニアにとっては色々ツッコミどころもありつつも、まあ映画としては面白いし、実話ベースなので実際どうだったんだろとか考えてると、そこらへんの楽しみが二倍。今でも運動方程式を習うときには手で計算を行いますが、なんか、やっぱ手で計算するって大事だなとか思いました。雑だけど。

*2:「あなたは自分が悪者じゃないと思っているけど、罪の意識を感じたくないから実際には差別の片棒を担いで生きているよね」ってことだから。

*3:ここから英語だけど見れます

*4:タラジ・P・ヘンソン扮するキャサリンが不満をぶちまけるシーンの声の荒さには鳥肌がたったし、スタッフォード役のジム・パーソンズはTVコメディのBig Bang Theoryで演じている変態物理学者のシェルドンをまともにした人物にしか見えなかったり、キルスティン・ダンストは歳を取っても相変わらず綺麗だった。ケビン・コスナーもイケメン管理職になってて味が出てました。